終了致しました。
たくさんのご参加ありがとうございました。

「東條英機の実像」

2021年12月21日(火)14:30~
【第79回】講師:東條 英利 先生

ANNOUNCEMENT

古賀Facebookより

【第79回AT-1告知】
エンジェル寺子屋一番館(AT-1)、第79回の募集を開始します。
開催日は12月21日(火)で、令和三年最後の締めくくりとして、神社文化評論家の東條英利先生を講師にお迎えします!
(告知が遅くなりましてすみません)
先月までの3カ月で、林千勝先生から《真の近現代史》を学んで参りました。
そこでは、大東亜戦争に関して我々が抱いている印象とは大きく異なる"史実"が語られました。
そのことを踏まえて今月は、あの"戦犯"とされている東條英機閣下の曾孫であられる、東條英利さんを講師にお迎えします。
「東條英機の実像」というテーマで、身内でしか知り得ないたくさんの"史実"を語っていただくと共に、対談でも様々な角度から切り込んでいろんなお話を聴かせていただく予定です!
併せて、年末ですので終了後の懇親会は忘年会という形で楽しくやりたいと思っております。

SEMINAR REPORT

セミナー議事録

《管理人の独り言》

昨日は年末のお忙しい時期にも関わらず、ご参加誠にありがとうございました。
日本を戦争に踏み切らせた人物として戦後、”独裁者”と語られる東條英機閣下の(正直、私自身は”独裁者”というイメージすら持っておりませんでした、、、)曾孫である東條英利先生から”東條英機の実像”というテーマに沿って、東條先生だからこそ語ることができる貴重なお話しを拝聴しました。

東條閣下についてこれほど詳しくお聞きしたのは初めてでしたが、聞けば聞くほど大変立派な方であったことを知りました。
戦前は理想的日本人「我が内なる東條英機」とまで言われていた東條閣下が戦後にはA級戦犯のレッテルを貼られ”大極悪人”として語られる。
敗戦国となってしまったが故に、戦勝国にとって都合が悪いものは、都合よく歴史を作り変えられてしまう。
作り変えられたというその事実が、いかに東條閣下が立派な方であったかを証明しているなと感じました。
残念なことに今回の東條先生のお話を聞いていなければ、私もすんなり批判的な見方を受け入れてしまっていたと思います、、、
改めて歴史を”正しく”学ぶことの重要性を感じました。

東條英機という日本人として誇り高い人物がいたこと。
家族やご自身の苦難を乗り越えて、それでも日本のためを思って活動する東條先生がいらっしゃること。
2021年、最後のAT-1で我が国日本を想うことができ、とても有難い機会となりました。

本年も皆様に支えられて毎月の寺子屋をはじめ、様々な合宿も開催することが出来ました。
本当にありがとうございました!!
迎える2022年も皆様と一緒に学ばせていただければと思いますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

《セミナー・懇親会風景》






《参加者みなさまのご感想》

・日本人の誇りとは何かについて考えさせられました。戦前の日本人から敬われていたということに納得すると共に、戦後の日本人が掌を返した態度を取ったことに、まさに今の日本の縮図を見た気がしました。

・日本人が失った大切なことを国のために自分が責任を負う、心に響く経験となりました。日本のために次の世代のために生きる覚悟がより明確にできました。

・大変勉強になり感動しました。東條家の戦後の苦悩はすさましいものであったと想像しました。タラレバはないですが、戦争に勝ち、東條英機の日本があったらとても良い平和な日本、世界になったのではないかと思えた。

・東條英機閣下の実像のお話もさることながら、その後の東條家の実情、特に英勝氏の人生を想像するだけで、日本人として言葉に表せない複雑な気持ちになった。また、戦後、同じ日本人からの差別行為の中、味方のいない悲惨な状況下で生き延びてきた東條家にあって、それでも日本人という人種は特別であり、その特別さゆえに期待し続けて行動している東條先生こそ、本当の日本人だなと感じ、感銘を受けた。

※たくさんの中のほんの一部になりますが、抜粋して掲載させていただきました。本当にありがとうございました。

《古賀Facebookより》

【第79回AT-1報告】
昨日は令和三年最後のAT-1でした。
激動の本年の締めくくりとして、かの東條英機閣下の曾孫であり、神社文化評論家でもある東條英利先生を講師にお迎えし、「東條英機の実像」というテーマでお話しいただきました。
8月に知覧を訪ね、9〜11月で林千勝先生から《真の近現代史》を学んだ上での、今月の東條さんの登壇。
多くの方々との貴重なご縁に深く感謝しつつ、この企画を思いついた自分を褒めてあげたいと思います(笑)
という軽口も出てくるくらい、この5カ月は私の人生にとって、とてもとても大切な機会となりました。
冒頭に東條さんが「東條英機は戦後最大のタブーなんです」とおっしゃいました。
なるほど、閣下の(ちょっと細かい一面はあるものの)真面目で几帳面な性格や、部下や子供に対して、そして日本という国に対して大きな慈愛をお持ちだったという人間的な側面を教えていただくに連れ、WGIP的な視点からは、彼はどこまで行っても"都合の悪い存在"だったのだろうなと感じました。
千勝さんに教えていただいた近衛文麿氏はその存在自体を歴史から焚書されていましたが、東條閣下の場合は逆に、上手くプロパガンダに利用されてきたということがよくよく理解できました。
しかし、それをやられた家族や子孫はたまったものじゃない。
敗戦を機に掌を返した多くの日本人から、いわれのない誹謗中傷を受け続けた戦後の東條家の悲惨な歴史の話を伺い、胸が締め付けられる想いでした。
日本人(というか人間)に確かに存在する闇の側面を見たような気がしますし、学校の教師(オトナ)が子供のいじめに加担するケースというのは、残念ながら昔も今もあるんですよね、、、
東條英機氏の父である英教(ヒデノリ)氏は、陸軍大学校の1期を主席で卒業したものの、時の権力者である山縣有朋に楯突いたという理由で最終的には中将止まりだったという不遇の秀才。
一方の英機氏は、中学卒業時点では学年で下から2番目の成績という状況から一念発起、猛勉強の末に陸軍士官学校(そして後に陸大)を卒業しており、「才能ではなく、努力で成り上がった自負」をお持ちだったとか。
陸軍の軍規もすべて暗記されていたそうです。
しかし軍人としても政治家としてもどんどんと出世していく中でもその慈愛の心は変わらず、あの時代にあって自身の部隊における体罰を禁止していたり、困っている子供に対する支援を惜しまなかったそうです。
お住まいだった用賀の近所では"優しくも厳しい近所のオヤジ"というようなイメージを持たれていたようで、サザエさんに登場する波平さんは英機氏をモデルにしているのではないか?という話もあるそうです。
英利さんが「見た目もそっくりですよね!」っておっしゃってました(笑)
世間では真逆のことが伝えられていますが、東條内閣は実際の所、日米開戦を防ぐ目的で昭和16年10月に発足しました。
しかしその目的が達せられず12/8の真珠湾攻撃に至ってしまい、東條閣下はその日の夜に皇居に向かって正座をし「陛下に申し訳ない」と号泣されたそうです。
これは奥様のかつ子さんの証言なので紛れもない事実です。(珍しくこれはウィキにも書かれていました)
また大戦末期、昭和20年の8月14日を描いた「日本のいちばん長い日」という映画の2015年復刻版では、降伏の決定に納得の行かない青年将校達に対して東條閣下が「陛下の御心は徹底抗戦だ!」と語るシーンが"追加"されているそうですが、1967年のオリジナルにはそのようなシーンは無いとのこと。
むしろ閣下は「陛下の決定に背かぬよう、軽率な行動は慎むように」というお達しを出されていたそうです。
こうしていつも歴史は、勝者によって改竄されていくのですよね、、、
昭和20年の9月11日の「自決未遂事件」についても詳しく伺いましたが、これも世間で伝えられていることとは大きく違っていましたね。
GHQと日本政府との間では「出頭の際は日本の警官が付き添う」という約束だったものをあちらが勝手に反故にし、あの日突如東條邸を米軍のMPが取り囲んだそうです。
これに憤慨した閣下は、以前から部下に対して「敵の捕虜になるくらいなら潔く自決しろ」と伝えられていた自らの信条に従い、ピストル自殺を図られました。
「米軍が救助して必死の救命が行われた」等と言われていますが、実際にはわざわざカメラマンを呼んで血まみれの閣下の写真を撮影したり(これは見せていただきました)、その場にいた米兵達は閣下が生きるか死ぬかで賭け事までしていたそうです。
そしてこの時に用いられたピストルも、8月14日に起きた宮城事件というクーデターに"結果的に"関与した娘婿の古賀秀正氏が自決に使った現物が使われていて、これが結果的に閣下の命を救うことにも繋がったのでした、、、
書き始めたら本当にキリがないのでこの辺りにしておきますが、最後に衝撃的なエピソードを一つ。
昭和23年の12月23日、処刑台に向かう東條閣下ら3人は、自分を連行している若い米兵に向かって微笑みながら「あぁごくろうさん、長い間ありがとう」とおっしゃったそうです。
それを聞いた米兵は、思わず手錠をかけられた閣下達の手を強く握っていたとのこと。
そんな東條閣下は、あの茶番中の茶番である東京裁判の中で、最期まで「すべての責任は我にあり。ただし日本は国際法上無罪である」と一貫して主張し続けました。
これほどまでに"強く優しい"日本人が、実際にこの国にはいらっしゃったのですね、、、
東條英機とは「失われた戦後日本人の象徴」だと英利さんはおっしゃいます。
戦後我々は"公"という概念をすっかり忘れてしまいました。
戦前の人達は「将来は立派な○○になりなさい」と教えられたそうです。
この"立派"という規範を取り戻すことが、我々が再度"公"を意識するための第一歩なのかもしれませんね。
東條さんは、戦後80年の節目となる2025年にとある企画を考えているそうです。
それはとても壮大なことではありますが、もし実現できたら日本人にとって、そして人類にとってものすごく有益なものになりそうです。
東條さんのお話をお聴きしながら、私も私なりにこれからも日本をそして世の中を良くしていく活動に力を入れて行こうとの決意を新たにしました。
改めまして、本当に他では聴けない貴重なお話、写真、音声をご準備いただいた東條さん、師走のお忙しい中に全国からお集まりくださった皆様、昨日は本当にありがとうございました。
皆様のおかげで、令和3年のAT-1も無事に全て終えることができました。
また来年以降もできる限り開催していきたいと思っておりますので、来年も引き続きAT-1をどうぞよろしくお願いいたします!!