終了致しました。
たくさんのご参加ありがとうございました。

日本人は本当に同調主義的で権威に弱いのか?――「恥の文化」再考

2017年10月17日 (火) 14:30~
【第31回】講師:施 光恒 先生

ANNOUNCEMENT

古賀Facebookより

【第31回AT-1告知】
エンジェル寺子屋一番館(AT-1)、第31回の募集を開始します!
開催日は10月17日(火)で、講師には九州大学大学院の比較社会文化研究院准教授であられる施光恒先生にお越しいただきます!

久しぶりの『我が国日本をもっと知ろう!』シリーズの第4弾。
一部の熱狂的ファンの皆様、お待たせいたしました(笑)
今回は私の母校である九州大学の施先生にお越しいただき『日本人は本当に同調主義的で権威に弱いのか?ー「恥の文化」再考』と題して、江戸時代?戦前の日本文化を引き合いに出しながら、先生の豊富な研究データや参考文献を元に、"日本人が日本人として誇りを持てるようなお話"をたくさん頂戴する予定です(^o^)
日本のことをもっと知りたい方、日本人としての自身にもっと誇りを持ちたい方はぜひぜひお越しください!
私も今からとっても楽しみにしております!!

SEMINAR REPORT

セミナー議事録

《管理人の独り言》

昨日もお忙しい中、ご参加ありがとうございました。
今回は少人数での開催となりましたが、やはり最後には「この人数だからよかった!」と感じる素晴らしい会となりました(^^)
日本人である私たちが「日本人でよかった!」と言い合えることがこんなにも楽しく、元気が出ることであることを体感いたしました。
反面、当たり前であるべきことが、今の日本では当たり前ではないという残念な気づきでもありました。。。

「我が国日本をもっと知ろう」シリーズ第四弾。
毎回「このままではいけない」と、はっ!とするような気づきを頂きます。
数年前まで、このようなテーマに関心を持つことが出来なかった私個人といたしましては過去4回の中で施先生のお話が一番受け入れやすかったです。
“とても深刻な問題”だから“熱く真剣に語る”ということが今の私には理解できます。
しかし、その姿が“否定的で馴染めない”と感じてしまう方も少なくないように思います。
施先生のアプローチは今までそう感じてしまった人にも関心を持つきっかけを与えてくれるのではと思いました。実際に今回、私がそう感じることが出来ました。

施先生の講話、第二弾。企画できたらと思っておりますので開催の際にはぜひご参加いただけますと幸いです!!

《管理人Memo》

■道徳意識の重要性
欧米の場合、秩序は「権力」や「法律」でつくられていることが多い。
対して日本の場合は、「文化」や「慣習」が秩序をつくり社会の基礎になっている。
例えば震災などで自治体や警察が機能停止するなど、なかば無政府状態(法律や警察、権力が機能停止な状態)であっても、日本ではしっかりとした秩序や規律が保たれていた。
日本以外の国で大災害などが起こった場合には、まず先に警察や軍隊が出動し、治安維持をする。そうしなければ秩序を保つことができないからである。

■自信のない日本人
戦後、日本人に刷り込まれてしまった自己イメージの源泉はアメリカの文化人類学者 ルース・ベネディクトの著書 『菊と刀』。
“日本人は同調主義的、主体性がない、自立性がない、お上に弱い”
これに日本の知識人たちも影響を受けオウム返しで言ってきた。
長い間、日本人自らも“自律的・主体的ではない”と言ってきたことで、日本の文化や道徳意識、感覚に対して自信をもっていない日本人が多い。

■ベネディクトの「菊と刀」
アメリカ政府の戦前、戦中の敵国研究が元になった著書。
世界の文化は大きく「恥の文化」と「罪の文化」に分けることができると述べている。
・「恥の文化」→日本の文化
他者の目を基準とする外面的道徳。同調主義的、他律的である。
“日本人は人の目を気にするが、人が見ていないところでは何をするか分からない”
・「罪の文化」→欧米の文化(特にプロテスタントの文化)
個人の良心を絶対的基準とする内面的道徳。非同調主義的、自律的である。
“欧米人は自身の良心、道徳に従って人が見ていないところでも正しい行いをする”

《疑問》
日本人は本当に同調主義的か?外的権威に弱いのか?
他人の目がないところでは、悪を犯してもなんとも思わないのか?

  ■日本で優勢な自我観と道徳観
⇒欧米と日本には相違がある。
◎自我観(人間観) 
・「相互独立的自我観」:実体的→欧米
例えば、“あなたとはどういう人間か?”という質問を投げかけられると、「私とは―こんな能力を持っている/こんな性格である」というように周囲の状況や環境と関係のないところで自分を定義する。
・「相互協調的自我観」:関係的→日本
例えば、“あなたとはどういう人間か?”という質問を投げかけられると、「私とは―大学で授業を教えている(社会的役割)/普段は○○だが、畏まった場では ○○である(性格)」というように周囲の状況や他者、社会的役割との関係性のなかで自分を定義する。

◎道徳観
道徳観と自我観は密接に関係している。
・「原理重視の道徳観」→欧米で優勢
自我観(相互独立的自我観)と同様に状況と切り離して考える。
状況を超越した権利、平等、公平さなどの原理を重視する。
・「状況重視の道徳観」→日本で優勢
自我観(相互協調的自我観)と同様に状況との関係で捉えられる場合が多い。
日本で良いとされる行いは他者の気持ちに配慮することや相手を傷つけずに他者と調和的関係を保つことであり、それが日本の道徳である。
他者の立場に立って、思い遣りを持てる人間が評価される。

“日本で優位な状況重視の道徳観”
ベネディクトはこの側面だけを見て「恥の文化」と称した。

■状況重視の日本の道徳(恥の文化)における自律・成熟の理念
子育てや学校教育によって幼少期から感情移入能力(他者への思い遣り)を鍛え、他者の視点を内面化することで、様々な角度から自分の思考や行動を見つめ、吟味し、反省し、改めることができる能力を身につけることが大切であるという教え。

■日本的道徳の奥行き
・過去の世代の視点→内面化すべき他者には“過去の人々”も含まれる。
(例)祖霊・氏神信仰、亡くなった人の観点を意識させる。
・自然との調和→内面化すべきものには“動植物やモノ”も含まれる。
(例)針供養、包丁供養、生類供養などの伝統。
あくまでも日本の道徳は“反省”や“自己吟味”がキーワードであり、多数の者や権威・権力への無批判な同調やただおもねるよう求めるような浅薄なものではない奥深いものである。

■まとめ
『自分たちの道徳意識にもっと自信を持っていい!!』
日本人は本質的に同調的主義、権威的主義、軍国的主義、お上に弱いなどではない。
他者との関係を大切にし、その関係の中でどう自分を生かしていくかということを強く考えている。他者に支えられているという感謝がやる気に繋がる、自己実現も調和の中にある。
自分人としての感覚に自信を持って欲しい。日本の良さを言葉に出して欲しい。

《セミナー・懇親会風景》






《参加者みなさまのご感想》

・とても楽しかったです!!日本人的な謙虚さ、美徳を大事にしつつ日本人としての誇りをもっていきたいと改めて思いました。

・自我感について、日本と欧米との違いを俯瞰して考えることで、なるほどと感じた。日本人の道徳観がどういうプロセスで培われているのか興味深かった。

・日本人の道徳は世界に引けをとらないことが改めて勉強になりました。

・日本に生まれて、日本に育って、日本人で良かったと改めて感じることができた。他に何を言われようと、自分は自分らしく在ればいい。良心に従い生きていこう!息子たちに大切なことを伝えていきます!!

※たくさんの中のほんの一部になりますが、いただいた感想を掲載させていただきました。本当にありがとうございました。

《古賀Facebookより》

【第31回御礼】
昨日のAT-1は『我が国日本をもっと知ろう!』シリーズの第4弾で、九州大学准教授の施光恒先生にお話しいただきました。
実はなんと、ちょうど1年前の2016/10/17に同じ会場にて『我が国日本〜』シリーズの3回目を神谷宗幣さんにお話しいただいており、偶然とはいえ何かしら深いご縁を感じずにはいられませんでした(^^)

今回のテーマは『日本人は本当に同調主義的で権威に弱いのか?ー「恥の文化」再考』。
アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが書いた「菊と刀」の中で展開した「恥の文化」としての日本文化は、果たして本当にそうなのか?といった観点から、日本文化や日本人の道徳観について深く解説いただきました。
ベネディクト女史曰く、欧米の「罪の文化」は個人の良心を絶対的基準とする内面的道徳であるのに対し、日本の「恥の文化」は他者の目を基準とする外面的道徳であるとのこと。
要するに、欧米人は誰が見ていなくても常に自身の道徳に従って正しい行いをするが、日本人は人の見ていない所ではすぐに悪さをする、という解釈です。
私は即座に「逆だろ!」と思い、口に出してしまいましたが、、、(笑)

一方、現代の社会(文化)心理学による整理では、欧米人は「相互独立的自我観」を持ち、日本人は「相互協調的自我観」を持つと言われているそうで、前者は実体的、後者は関係的であるという特徴があります。
欧米の言語と違い、日本語には多様な一人称や二人称代名詞が存在しており、それは「状況認識が先、自己認識があと」という自我観に基づいているからであると考えられるそうです。(欧米では「自己認識が先、状況認識があと」)

日本人は、常に他者や自然といった自分以外の世界との関係性の中で自己を認識する傾向にあり、そういった特徴の一部の側面のみを捉えてベネディクト女史が「恥の文化」と称したと考えられます。
欧米で言うところの"一般化された他者"が日本で言う"世間様"であり、アダムスミスの言うところの"公平無私なる観察者"が日本の"お天道様"であり、そこに時間軸を加えた"ご先祖様"という存在も含め、多様な他者の視点の内面化を通じて自己反省能力を獲得しているのが日本文化であると施先生はおっしゃいます。

上記と重なりますが、施先生によるまとめはこうです。
〜日本的自律性とは、同時代の様々な他者だけではなく、過去や未来の人々、自然やモノとの関わりのなかで自分の役割、生き方を捉え、多様な角度から批判的に吟味し、自分のあり方を絶えず見つめ直す反省能力の獲得と関連している。〜

個人的には、改めて日本文化の、そして日本人としての自分たちの素晴らしさを再認識することができ、とても元気が出ました。
そして同時に、やはり日本と外国とでは文化や考え方が大きく異なっていることをよくよく理解し、その違いを(善し悪しではなく)あくまでも違いとして認識した上で、日々のそして国際社会での振る舞い方を考えて行きたいなと感じました。

昨日のためにたくさんの資料をご準備いただき、優しい物腰と丁寧な言葉で我々に語りかけてくださった施先生、そしてお忙しい中にお集まりいただいた皆様、本当にありがとうございました。
あの場をあのメンバーで共有できたことを心から誇りに思います。

さぁ、いよいよ来月はあの杉山愛さんの登場です(^-^)
なかなか簡単に会える方ではないので、一人でも多くの方のご参加をお待ちしております!!